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JR中央線の猿橋駅から甲州街道を東に15分ほど歩くと、日本三奇橋のひとつに数えられる『甲州猿橋』があります。断崖せまる渓谷美の桂川にかけられており、古くから名勝・奇勝の地として知られ、往来の旅人はもとより数々の文人・墨客・才人達がこの橋を訪れて、さまざまな足跡と作品を残していきました。
猿橋の歴史は古く、江戸期の甲州街道時代をはるかにさかのぼり、初めて架けられたのは、七世紀(推古天皇の時代)頃ではないかといわれています。渡来した百済の工人が、川岸の梢から猿たちが群れをなして川を渡る姿をヒントに、橋脚を用いず棟木と横桁を何段も重ねて中央で結合するという独自の構造を考案し、この橋を架けたという伝承が語り継がれています。
猿橋の全長は31メートル。桂川の川面までは30メートルあります。現在の猿橋は、総工費3億8千万円を費やして昭和59年(1993年)に架け替えられたもので、国の名勝文化財指定の地として、平成の旅人たちを迎えています。



◆◆◆ 松尾芭蕉 ◆◆◆


北斎漫画より「芭蕉像」

猿橋や 月松にあり 水にあり
猿橋や 蝿も居直る 笠の上
うき我を 淋しがらせよ かんこ鳥
            松尾芭蕉


俳聖、松尾芭蕉は甲州への旅路で猿橋を吟じた。漂泊の旅を愛し、拝諧を芸術の域に高めた俳聖松尾芭蕉も甲州への道中吟にて、この猿橋を句にしています。



◆◆◆ 野口雨情 ◆◆◆ ◆◆◆ 歌川広重 ◆◆◆



雨情はやさしい眼差しで
この猿橋を眺めた




広重は、猿橋の景勝を
「甲陽猿橋之図」に残した。



◆◆◆ 国定忠治 ◆◆◆

大黒屋は、国定忠治の常宿であった。
『赤城の山も今宵かぎり・・・・』の名台詞で知られる国定忠治。
最後の山発ちをした国定忠治は、中山道から甲州街道へ、そして
ここ猿橋の当時旅館だった大黒屋にしばらく逗留したといいます。
国定忠治とは、渡世人でしたが、自分の資財を投げ打って縄張り
の農民達を飢餓から救った人でもありました。



◆◆◆ 日立製作所創業会談の場 ◆◆◆




明治39年、この大黒屋に、渋沢元治と小平浪平が宿泊。(株)日立製作所の創業の打ち合わせが行なわれました。写真は日立創業80年を記念して、日立工場「特称会」から寄贈された作品。


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