2003年の八朔祭のもようはこちらで見られます。

八朔祭は都留市を代表するお祭りで、旧暦の8月1日(八朔)に行われる生出神社の例大祭です。現在では毎年9月1日に行われています。
江戸時代に造られた豪華な屋台の巡行や古式ゆかしい大名行列、神輿や獅子舞が見もので、城下町だった昔の繁栄ぶりを彷佛とさせます。
八朔祭にまつわるあれこれと、今年の行事予定をご紹介します。

●生出神社と八朔祭の由来●
祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)。
創建は伝説によると、大宝3年(奈良時代、703年)、生出山の頂上に毎夜光りだすものがあるので村人が見に行くと、表と裏に登龍の形のある小石があった。不思議に思っていると突如老人が現れ、「この石は神宝である。諏訪大明神として祀れば村人は安泰に守護されるだろう」と告げた。村人たちはそのお告げによって、山頂に霊泉が湧き出る場所に社殿を造り生出神社として祀った。
その後、富士の北麓に大雨が降り大きな水害が発生したが、この村には何の災害もなくいつもより増して豊作になった。その年の8月1日に豊年を感謝してお神輿を出し、以降毎年賑やかに行われるようになった。
その後、現在の地に宮を移し、山頂の社を奥宮とした。武田信満や領主の鳥居成次が社殿の造営を行った。(郷土史 旧谷村町 より)

●絢爛豪華な屋台●
早馬町、新町、仲町、下町からは江戸時代に作られた屋台が出され、祭りを華やかに彩ります。
屋台の造りは梁間一間、桁行二間造り、屋根は大唐破風平屋根で、舞台前部と楽屋後部から構成されています。細かな彫刻や彫金で飾られ、特に屋台飾幕は外国産の緋羅紗や金糸、ガラスなど高価な材料がふんだんに使用され、豪華で見ごたえのあるものです。
屋台は昭和のはじめまで使われていましたが、その後解体し保存されていたものを、平成4年に飛騨の高山祭屋台保存技術協会に復元、修復を依頼して平成7年3月に完成しました。


見事な龍の彫り物(下町)

ミュージアム都留に展示中の仲町屋台

豪華な装飾(仲町)

・下町屋台幕「虎」

 葛飾北斎の筆。猛々しい虎の絵に真鍮やガラスで重厚な装飾がしてある。
・早馬町屋台幕「牧童牛の背に笛を吹く」
 葛飾北斎の筆によるものと言われている。中幕は15頭の馬が遊び群れる画で、柳文朝の筆。
・新町屋台幕「鹿島踊り」
 鹿島神宮で男3人が囃し立てつつ踊る愉快な模様。葛飾北斎の筆と伝えられている。
・仲町屋台幕「桜に駒」
 昭和10年の崖崩れで被災し、僅かな刺繍と緋羅紗の地が残るのみになってしまいましたが、
 1983年に見事に修復されました。絵は藤原栄之の筆で、歌麿にも劣らぬ浮世絵師だったそうです。



↑ 下町屋台幕「虎」 葛飾北斎 筆 
← 早馬町屋台幕「牧童牛の背に笛を吹く」

●十万石の大名行列●

谷村には戦国時代に城が築かれましたが、以来様々な城主が統治をしてきました。中でも寛永10年(1633年、江戸時代初期)に城主となった秋元但馬守泰朝 以降3代の統治時代には、城下町の整備が行われ、政治・経済・文化が発展しました。その感謝の気持ちと、五穀豊穣を願って農民たちが十万石の格式に仕立てあげて表したとされているのがこの大名行列と言われています。

「下ぁにぃ〜下ぁにぃ〜」 
●第21回ふるさと祭り大名行列等進行●
八朔祭りにあわせ、いろいろな出し物が披露されます。 場所:谷村第一小学校校庭

午前10:00 下町屋台 出発(町内から) 午後4:00 ひまわり幼稚園 出し物
10:30 仲町屋台 出発(町内から) 4:10 毛槍おどり保存会
午後2:00 早馬町屋台 出発(町内から) 4:20 青藍幼稚園 出し物
3:00 新町屋台 出発(町内から) 4:30 谷村ばやし
3:15 大名行列(文化会館から) 4:35 阿波踊り(城南公園から)
3:20 八朔イン都留太鼓 5:30 屋台連合演奏
3:40 保育所連合会 出し物 6:00 八朔イン都留開始
3:50 連合婦人会 出し物 7:20 花火打上げ(八幡神社周辺)




画像提供:都留市 産業観光課


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